旅’s Blog

日々の生活も人生の長い旅の1ページである。 記事内の画像はクリックで拡大します。
  • All post
  • Twitter
  • Rss
  • Contact
  • Admin

晩秋の東九州(12)

Posted by 月山2006 on 29.2015 九州 0 comments
東九州 309高千穂峡をゆっくりガイドさんと散策してから高千穂神社に行く。ここで問題!高千穂峡の御橋から高千穂神社まで可なり距離があり、歩いてゆくには急な坂道を上ってゆかねばならない。それは無理。バスなどの公共の交通の便が悪い。御橋前にあるタクシー乗り場は空。乗り場に書かれてあった連絡先に電話。5分ほどで来た。
御橋から急坂をタクシーが上ってゆく。やっぱり歩いては無理だ。10分ほど走り高千穂神社に着いた。昨夜は夜神楽を見学するために真っ暗な神社に行ったので、周囲の様子が分からなかった。

こんもりとした森の中にあり、正面には石段。足腰が弱くなると石段が気になる。登りはきつい。下りは危ない。

狛犬1 狛犬2

石段の上がり口の両側に一対の狛犬。この狛犬は今まで見てきた狛犬と違う。子犬を抱えている。狛犬はふさふさした毛で覆われ、まるで獅子の様。
ここ高千穂神社には重要文化財(国指定)の 鉄造狛犬1対 が奉納されている。 伝源頼朝奉納の鋳鉄製の狛犬とのこと。
像高およそ55cmで、一般に鉄像は銅像に比べて複雑な形の鋳造や細部の仕上げが困難であるとされるが、同時代(鎌倉時代)の木彫のものと比較しても遜色がなく、その鋳造技術は鉄造遺品中出色のものとされ、昭和46年6月22日重要文化財に指定されたとある。この一対の狛犬はそのレプリカだろうか。

東九州 314気温が低いところに境内はひんやりとして、さらに冷える。
境内には、800年程前、鎌倉将軍源頼朝の命で秩父の畠山重忠が代参し植えたとされる「秩父杉」(町の天然記念物・みやざきの巨樹百選)がある。畠山重忠は高千穂神社への参拝だけを目的に高千穂を訪れたという。 樹齢800年、幹周715cm、樹高55m






本殿 東九州 317

本殿東側の脇障子に彫刻された鬼八を退治する三毛入野命の神像といった当地の伝説や祭礼に関する彫物を施し、西側脇障子の部分には稲荷社を設ける独特の形式などの地方色も顕著に表していることから、国の重要文化財に指定。

ところで、この鬼八とんでもない悪党で、かつて16歳になる生娘を生贄として鬼神鬼八の慰霊のために捧げていたが、天正年間(1573-93年)に三田井氏の家臣甲斐宗摂がこれを悪習と嘆き、高城山で巻狩を行って獲た16頭の猪(しし)を代わりに捧げた。以後「鬼餌の狩」と称する狩りで獲た猪を捧げるようになったとのこと。祭礼では、鬼八塚に氏子等が供物をするなどの慰霊祭を行った後、社頭で笹振り神事を行う。笹振り神事は神前に1頭の猪を丸ごと献饌し、鬼八の魂を鎮める「鬼八眠らせ歌」を歌いながら笹を左右に振る「笹振り神楽」を舞う。これによって鬼八は神へと昇華し、霜害を防ぐ「霜宮」に転生するという。「笹振り神楽」は一に「地祇(ちぎ)の舞」とも呼ばれ、高千穂神楽の祖型であるとのこと。


昨夜、夜神楽を堪能いした社殿を見学し、バスセンターに向かう。高千穂神社に向かう時の乗ったタクシーのドライバーにバスセンターに行き時には連絡してくださいと言われたが、緩い登り坂で、時間に余裕があるので、ぶらぶら街中を見学しながら歩いた。バスセンターに着いたが、バスの到着時間までかなりあるのではJR高千穂駅跡の見学に行く。今度は緩い登り坂。ゆっくり歩いても息が切れる。近いと思ったがかなり歩かされる。
後ろから、我々よりさらに年配の夫婦が歩いてきた。歩き方はゆっくりだが休まない。いつの間にか抜かれた。やっと高千穂駅跡に着いた。振り返って見ると大した距離ではない。体力がないね。

駅 東九州 320

高千穂駅跡に着いた。駅は道路からかなり下の方にある。駅舎はもうかなり傷んでいる。廃屋だ。しかし、線路はまだしっかりしていつでも使えるように見える。
この高千穂鉄道は旧国鉄高千穂線廃止を受け、高千穂鉄道として設立したが、2005年9月6日の台風14号による暴風雨で鉄道設備に大きな被害を受け全線運転休止となった。
当時2007年に宮崎県知事の東国原英夫は自らのマニフェストである「高千穂地域の交通基盤整備の支援」に沿って「鉄路は残っている。高千穂再生のためには観光鉄道として生かすことも大切だ」と運行再開の意欲を述べた。

しかし、2007年9月6日に延岡 - 槇峰間が廃止され、翌2008年12月28日には槇峰 - 高千穂間(全線)が廃止され宮崎県からJR線以外の民営鉄道がなくなる。高千穂鉄道廃止後の延岡 - 高千穂間の公共交通機関は宮崎交通を中心とするバスに九産交バスにみ。高千穂へのバスは一時間に一本で不便。ここを訪れる観光客は車かツアーの観光バスが多いのではないだろうか。

高千穂駅を後に坂道をぶらぶら下ってバスセンターに着く。バスセンターでコインロッカーから荷物を取り出し、バスを待っっ。なかなか来ない。センターに中型のバスが先ほどから停車している。
「もしかして、あのバス?」
カミさん、バスのドライバーに確認に行く。我々が乗るバスはこのバスだった。来るときは大型のバスであったので、帰りも大型バスとの先入観でまさか中型バスが来るとは思ってもみなかった。先入観は恐ろしい。かみさんの機転でバスに乗り損なわず済んだ。
延岡駅からにちりん13号に乗り宮崎に到着。ここから路線バスで今宵の宿、ANAホリデーインリゾート宮崎に向かう。なぜ、このホテルを選んだかというと、翌日参加する現地ツアーがこのホテル前に止まること。また、ツアーは宮崎駅からくるので、ツアーバスが来るまでホテルでゆっくりできると判断した。

ところが、宮崎駅からこのホテルへのアクセスがはっきりしない。ホテルの説明では宮崎駅からホテルまではJRを使い、こどもの国駅で下車。この駅は無人駅で、タクシーも止まっていない。そこから歩いてホテルに行くのが一番便利との事。地図で調べると結構距離がある。荷物を持って夕方とぼとぼ歩きたくはない。
インターネットで調べると宮崎交通が海岸線経由青島行のバスがあり、このバスなんとホテル前で止まるではないか。時間帯もよし。ホテルのフロントはこのことを知らなかったのか。勉強不足というか問題だ。

16時40分に宮崎えきから青島行の路線バスで市内のあちこちに停車しながらやがて市街を抜け、海が時々見える広い道を走る。夕日が美しい。

東九州 334 東九州 329

17時27分ホテル前に予定通り到着。若い女性のベルボーイが我々の荷物を抱え、ホテル2階のフロントまで運んでくれた。ホテルは白を基調とした大きなホテルでマーマーの混みよう。

ANAホテル1我々は海が見える9階のプレミアツインを予約しておいた。部屋はきれいでゆったり。大きな窓から日向灘が見渡せる。
ホテルの大浴場に行った。かなりの混雑。浴室は広くゆったりしていたが、銭湯のようだ。落ち着かない。早々に引き揚げ、部屋の風呂に入り直した。
夕食はあれこれ迷ったが中華料理を選んだ。値段も張るが味は良かった。明日現地ツアーに参加してはにちりん海岸と古都飫肥を訪ねる。






続く


▲ top

晩秋の東九州(11)

Posted by 月山2006 on 26.2015 九州 0 comments
第4日目 11月29(土)
今日は高千穂峡を訪れてから延岡に戻り、延岡から宮崎に行く。

 09:00   Lv.岩戸屋 宿の送迎バス
 09:15  バスセンター 途中荷物預け
 09:30  Av.高千穂峡
 11:00  Lv.高千穂峡 タクシー
 11:10  Av.高千穂神社 
  徒歩でバスセンター
 11:50  Av.バスセンター 徒歩で高千穂駅
  高千穂駅跡 徒歩でバスセンター
 13:10  Av.バスセンター
 13:30  Lv.バスセンター 延岡行路線バス
 14:49  Av.延岡
 15:11  Lv.延岡 にちりん13号
 16:16  Av.宮崎
 16:40  Lv.宮崎 青島行 宮崎交通路線バス
 17:27  Av.ANAホリデーインリゾート宮崎バス停
  泊 ANAホリデーインリゾート宮崎バス停


岩戸屋で朝食を済ませ、若女将の父親(だと思う)の運転する車で高千穂バスセンターまで行く。ここで、車を少し止めてもらってコインロッカーに荷物を預け、再び車で高千穂峡まで送ってもらう。別れ際に車のドライバーにいろいろお願いし、気持ちよく受けてもらったので心からお礼を述べた。

東九州 253
今日が曇天で寒い。高千穂峡直営売店に行く。事前に高千穂町観光協会の高千穂峡スポットガイドを10時に予約していたが、寒いので高千穂峡でボートに乗るをやめたためガイドの時間を早めてもらった。
昨夜は雨だったのだろうかしっとり濡れた木々、山間の中に建つ小屋の感じで、しんしんと冷える。観光客は早朝のためまばら。






東九州 254
ガイドさんが来る間、高千穂峡直営売店まえの生簀などがあるおのころ池あたりを見て回る。深い峡谷の底の趣で両側の切り立つ岸壁、紅葉がまばらなうっそうとした森林はいかにも古代神代の国だ。


しばらく待っていると、中年の体格の良い女性がきた。彼女が我々のガイドさん。これから高千穂峡を歩きながら観光スポットを説明してくれる。他の観光客はなく、我々のみ。


高千穂峡マップ 東九州 262

五ヶ瀬川に沿って広い自動車道の坂道をしばらく上る。トンネルを抜け、神橋を渡り高千穂峡谷に降りてゆく。紅葉したもみじが美しい。道端に小鳥の死がいがあった。見るとメジロ。しかも外傷がない。きれいだ。車に踏みつぶされないように道路わきに寄せてあげようとしたが、ふと、「鳥インフルエンザ」を思い出し、我々はメジロが可哀想だったが、手を触れずそのままにしておいた。後日、宮崎県で鳥インフルエンザ発生とのニュースが入ってきたが、このメジロと何か関係があるかも知れない。

東九州 265 東九州 269

神橋を渡り、深く切り込んだ谷に降りてゆき、峡谷に沿って進む。ここはやや平らな部分だがあちこちに大きな甌穴がある。ここはかつて川底であった。水の力と砕けた岩石が長い間にこのように深い峡谷を作り上げてきた。このあたりの峡谷は深い青一色の瀞。

東九州 270ここから峡谷の上に架かる橋がみられる。高千穂は橋の多いところだ。











東九州 273 槍飛橋(やりとびばし)
ここは五ヶ瀬」川の中でも一番川幅の狭いところ。1591 年、今の延岡の領主高橋元種に高干穂が攻められた時、 三田井城が落ち、城から家来たちは逃げ出した。しかし、 ここまで逃げてきたものの橋がなく、槍の柄を手前についた ものは飛ぴ渡ることができ、向うについたものは」llの中に落 ちたと伝えられている。






東九州 279 東九州 288

仙人の屏風岩(せんにんのびょうぶいわ)
高さは約70m。対岸に広がる仙人の屏風岩。不老不死の術を得、神通力を持つ仙人の屏風岩は垂直に切り立った柱状節理の岩壁は阿蘇山の溶岩流が柱状節理になったもので、下側、縦の柱状節理が12万年前の噴火で上側は9万年前の噴火の際の溶岩流とのこと。

東九州 282 東九州 283

鬼八の力石(きはちのちからいし)
高干穂神社の神様で三毛入野命という神様が悪さばかりして、みん なを困らせていた鬼八を退治し、高干穂の地を治めたとされとのこと。 この時、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石 がこの石だといわれている。重さは約200t。 この岩にはしめ縄がかけてある。しめ縄の下がりは3本、5本、7本。現代まで続いている七五三の起源らしい。

東九州 290 東九州 293

遊歩道を進むと日本の滝百選に選ばれている真名井の滝が見えてくる。滝の落差は約17m。ボ ートに乗ると滝壷近くまで行くことができらしい。

東九州 299

おのころ池にシロチョウザメとベステルが飼われていた。チョウザメは姿がサメに似ていて、背中の鱗が蝶の形に見えることかららしい。この魚は淡水魚で池の中で悠々と泳いである。シーラカンスと同じ古代魚。

東九州 302出発地点、高千穂峡直営売店がある御橋に戻った。ゆっくり散策して一時間程度。










東九州 304高千穂峡直営売店近くに若山牧水歌碑と北原白秋歌碑があった。
若山牧水は日向市東郷町出身で、明治34年に高干穂を訪れている。
碑には「幾山河越えてさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ 今日も旅行く」とある。








東九州 306北原白秋歌碑
昭和16年3月に高干 穂を訪れた。白秋は病気でほとんど目が見えなくなっ ていた。神話の里高干穂で最後の長歌を詠んだ。 天孫降臨の際、水の種を移した所とされる天真名井とその そばを流れる神代川で麻の皮を水に浸して洗う「おこぎ小屋」 の夜の情景を
「引く水に麻のをひてて月待つは清き河原 の天地根元づくりの家」と詠んでいる。 白秋はこの1年半後の昭和17年11月に亡くなった。






続く

▲ top

晩秋の東九州(10)

Posted by 月山2006 on 19.2015 九州 0 comments
第3日目 11月29日(土) 晴れ

今日の予定
08:30Lv. こがね山荘
08:50Av. 中津駅
09:08Lv. 中津(特急にちりんシーガイア7号)
12:07Av. 延岡駅
13:00Lv. 延岡バスセンター(路線バス 高千穂行)
14:30Av. 高千穂バスセンター
14:40Lv. 高千穂バスセンター(宿の迎え)
15:10Av. 岩戸屋
~16:30天岩戸神社など散策
18:30夕食
20:00~21:00高千穂夜神楽見学
ー泊 岩戸屋


宿の車で中津駅まで送ってもらい、事前に購入しておいた乗車券でホームに入る。今回の旅に行く前に「JR大人の休日倶楽部ジパング」に夫婦で入会し、九州地区のJR乗車券、特急券はすべて20%割引制度で購入しておいた。中津駅ホームで列車を待つ。

東九州 190 ホームの長~いベンチがあった。中津名物鱧を模したベンチ。










延岡駅に到着。大きな駅舎だ。駅前は広いロータリーになっている。昼時車も人も少ない。閑散としている。延岡バスセンター待合室でバスの到着を待つ。待合室には多くの地元の人たちがベンチに座っているが旅行客は我々のみのようだ。待っている地元の人たちはほとんど高齢の女性で、男の高齢者はいない。地方都市の典型的なパタ~ン。
バスが来た。老女たちと一緒にバスに乗り込む。彼女たちは途中で一人二人と下車し、市街地を離れると車内はガラガラになった。次第に山が近くなり、やがて曲がりくねった狭い山道を登ってゆく。道路幅が狭いのでたまに出会う車とのすれ違いは大変だ。
可なり山深くなった。川は渓谷となり、はるか下のほうを濁流になって流れている。途中いくつかの村落で人々が乗り降りする。それにしてもこんな山奥でどうやって生活しているのだろう。高千穂はまだまだ。
バスは喘ぎながら曲がりくねった山道を登る。やがて、広い道路にでた。これがバイパス路でバスが上ってきた道は旧道だった。
まっすぐ伸びた広い道路。今まで深い渓谷の山道とはまるで違う。谷合の開けた景色。立派な道路が縦横に走り、幾つもの大きな橋が架かっている。山裾には立派な民家が立ち並ぶ。まるで天空の都市の感じだ。ここが高千穂。
バスは街中に入り、高千穂バスセンターにたどり着く。延岡からここまで1時間30分の行程だった。ここで今夜の宿から迎えに来るはず。しかし、待てども、待てども迎えに来ない。しびれを切らせて宿に電話をする。忘れていたようだ。10分ほどして迎えの車がきた。ドライバーは何となく魚臭い。今まで厨房に立っていたようだ。
「バスの到着時刻に合わせて迎えに来てくれるはずだったのに」
「どうもフロントとの連絡がうまくいってなかったようです」
「すみません」とも「お待たせしました」などの挨拶はなし。インターネットでは評判の宿で、部屋の確保、高千穂観光など細かく親切にメールで教えてもらったのでこの宿に決めていたが、少し心配になってきた。

車は天岩戸神社の前を過ぎ、今夜の宿、岩戸屋に着く。若い女性がフロントから出迎えてくれた。宿帳に記載し、若い女性に迎えに来なかったことに文句を言った。恐縮した面持ちであったが、詫びはない。
「これからのご予定は?」
「メールで細かく打ち合わせしてあるのですが」
小生いささか気分が悪くなり、口調がきつくなった。女性は小生とやり取りしたメールのコピーを持ってきた。
「あれ、メールでやり取りさせてもらった方はあなただったのですか」
「はい」
実はこの宿の予約はJTB経由で行っていて、直接予約は受けていなかった。我々は特別室を予約したかったがJTBでは「満室」とのことだったが、この女性がJTBと調整し、「特別室」を確保してくれた。とても親切な人だった。






東九州 193

夕食まで時間があるので、宿から数分の天岩戸神社を訪れた。夕暮れ時なのか参拝客はまばら。









東九州 196
岩戸神社に入るとすぐにリアルな像が立っている。これから見学する夜神楽の主役,天岩戸神楽、戸取(手力男命)岩の戸を取り払う舞。









東九州 219
国家君が代に詠まれている「さざれ石」
岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったこの石は学名を石灰質角礫岩。
石灰石が雨水に溶解し、其の石灰分をふくんだ水が時には粘着力の強い乳状体となって地下にて小石を集結し次第に大きくなる。やがてそれが地上に出て国歌によまれている如く千代八千代、代年をへてさざれ石が巌となり苔のむすという。





東九州 197
ひっそりとした天岩戸神社 西本宮










東九州 199
天岩戸神社西本宮から岩戸川に沿って徒歩約10分ほどの急な山道を谷川まで下る。帰りが大変。
天照大神が岩戸に隠れ際、天地暗黒となり八百万(やおよろず)の神がこの河原に集まり神議したと伝えられる大洞窟。
別名「仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)」とも呼ぶ。
以前は社のみがあり信仰の対象となっていたが、いつのまにか祈願を行う人たちの手によって石が積まれていく。




東九州 202 東九州 203

谷合の河原のある洞窟。うっそうとした森に囲まれ、夕刻であったこともあり薄暗い神秘というか、不気味な感じすらあった。

東九州 212

東本宮を訪れる時間がなく、また鳥居から本宮まで急な長~い石段があるので割愛。鳥居の脇には天岩戸神楽29番鈿女(天鈿女命が身振り面白く天照大御神を誘い出させる舞)の像があった。近くに寄ると音楽が鳴り、像が廻り出す。

宿に戻る。
夕食時、初老の女性とこの女性が客の世話をしている。今夜はJTBのツアー客が別部屋で食事をし、かなり混雑していた。食事を運んできた女性に
「もしかしたら、若女将?」
「はい」
「イヤー、先ほどは声を荒らげすみませんでした。メールでいろいろご親切に教えていただいたのに」とお詫びした。
小さな声で、「こちらこそ」
どうやら、この若女将と給仕で忙しい初老の女性は若女将の母親で、車で迎えに来てくれた男性は若女将の父親のようだ。家族でこの宿を運営している。大変だ。
特別室は新しくはないが、畳が新しく交換され、井草の匂いが心地よい。ヒノキの内風呂であせを流し、食事後、ロビーに集合してこれから宿のマイクロバスで高千穂神社で行われる夜神楽を観に行く。参加者は宿に宿泊したツアー客も加わり
数台のマイクロバスで夜道を行く。
高千穂神社に着いた頃にはすでにたくさんの観光バスが駐車場に止まり、多くの人たちが会場に向かっている。我々が会場に入ったころにはすでに満員。前の方の隙間に座った。板の間みたいな堅い床に座る。すぐに尻が痛くなり、足がしびれた。ざっと見て、200~300人が詰めかけている。毎晩こんな状態では下手な興行より儲かるであろう。踊り手と太鼓、笛を吹く人たちの人件費が主な支出で舞台装置は毎回同じ神楽舞台なので新たな経費は掛からないだろう。
そんなことを考えていると、夜神楽が始まる時刻になった。

始めに、演じられる夜神楽について説明がある。夜神楽は4つの舞が舞われる。
最初は手力雄(たぢからお)の舞で手力雄(たぢからお)の舞は手力雄命(たぢからおのみこと)が天照大神の隠れている天岩戸を探し当てるところをあらわした舞。

次に鈿女(うずめ)の舞で天岩戸より誘い出す。そして、戸取(ととり)の舞で天岩戸を開く勇壮な舞と続く。最後にご神体の舞で二神のよる国つくりの舞で多少色っぽい。これらの舞は笛と太鼓に合わせて舞う。太鼓の音、リズムが腹に響き、いまでもはっきり思い出させる。

これら4つの舞を解説した記事があったので一部引用させていただく。

1.手力雄(たぢからお)の舞

東九州 223 東九州 226

手力雄の舞1 手力雄の舞2

手力雄命鈴と紅白の岩戸幣を持つ。岩戸幣には冠がついて青幣の山冠は天と水を、赤幣の横冠は地と土を表し、分け幣の手は青幣を立て、赤幣は肩に当て鈴を一緒に横にして舞う。 青幣が山、赤幣は畑の象徴とある。

2.鈿女(うずめ)の舞

鈿女の舞

天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に隠れられてしまった折に、 岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が調子面白く舞ったことにより、神々が大笑いし、 不審に思った天照大神が姿を表したという日本神話が題材にされている。 
天の岩戸の所在がはっきりしたので、岩戸も前で面白おかしく舞い、天照大神を岩戸より誘い出そうとす舞う。この天鈿女命の、天岩戸の前での舞いが、神楽の起源ともいわている。
微笑みをたたえた女面に三段切りの御幣と日の丸の扇子(おうぎ)を持ち、素襖(すおう)の袖を巻き上げて優雅に舞うるこの舞は男神の力強さを象徴した手力雄命(たぢからおのみこと)の戸取りとは対象的。


3.戸取(ととり)の舞 天岩戸を開く勇壮な舞

戸取の舞 東九州 246

戸取明神 (手力雄命)は天岩戸を開き、天照大神に再び出て頂く。これで又世の中に光が戻る事となる。赤面に裁着袴、たすきを腰にはさみ杖を持った力強い手力雄の舞い。

「ああら来たり大神殿、なんとて出でさせ給わぬものならば、われ八百万神の神の力を出し一方の戸を取りて投げ捨つれば、伊勢の国は山田ヶ原に着きにけり。また一方の戸を投げ捨つれば、日向国橘の小戸の阿波木原にぞ着きにけり。その時日月さやかに拝まれ給うものなりやぁー」
と・・唱教しながら赤面の汗をはらい黒髪をふり乱し、渾身の力をこめて戸をはらう手力雄の舞は男性的な神楽。同じ手力雄の舞でも「手力雄」で用いる神面は白面であるのに対して「戸取」で用いる神面は赤面。
これは戸取りという神楽の性格上、渾身の力をこめられるため面(おもて)が紅潮した状態を表しているそうです。

4.ご神体の舞 二神のよる国つくりの舞

東九州 251 ご神体の舞

伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)二神による国産みの舞で、本来は新穀感謝祭(新嘗祭・にいなめさい)を祝うために男女の神が新穀で酒をつくり,、神前に捧げるお神楽で「酒おこしの舞」ともいわれる。
神道祭祀では、新穀、神酒を神前に供えて同じものを直会(なおらい)として人々が一緒に戴き、その行為を通して“神人一体”化すると信じられており、それが神楽御神躰のもつ本来の意味であり、男女二神の抱擁として表現されている。

男神は裁着袴に面をつけ餅を入れた藁苞(わらづと)を棒にさして担ぎ、右手の扇で棒をリズミカルにたたきながら出て来る。男神が神庭を一回りすると頬がふくれておちょぼ口の愛敬のある女神が桶とザルをかついで男神に続く。

東九州 252

二人そろって濁酒をこすことになるが、浮気心を出した男神は神楽見物の若い女性のところへ飛び込んで行き大騒ぎとなる。 女神につれ戻され再び酒をこす作業がはじまる。太鼓の調子に合わせてドブロクをしぼり、酒を飲み合ううちに酔った二人は抱き合って夫婦となる。

夜神楽は一時間ほどで終了。足はしびれ、腰が痛くなったが、古代の民芸を鑑賞したようで面白かった。まだ幼いころ、家の隣が御岳神社で祭礼の時に演じられたお神楽を良く見ていたことを思い出した。夜神楽終了で大勢の人たちが一度に駐車場に行き迎えのバスや車に乗るので大混雑。我々は迎えの車で宿まで戻る。ロビーで温かい白玉しるこをふるまわれた。ありがたい。
明日は高千穂峡を訪れてから宮崎に向かう。

続く



















▲ top

晩秋の東九州(9)

Posted by 月山2006 on 14.2015 九州 0 comments
青の洞門を過ぎると山国川沿いに青の禅海橋があり、橋の袂に禅海僧の像がたてられ、その足元には禅海僧を題材にした「恩讐の彼方に」の著者、菊池寛の記念碑がある。ここも一大観光名所。観光バスで乗り付けた人々は青の洞門を見学し、ここで記念写真を撮っている。我々もその中に入る。
ここからバスに乗り、山間部を走り、やがて丘陵地帯の山裾に入る。

道すがら
ここから羅漢寺に行く。寺の入口周辺には数軒の土産物屋兼食事処がある。派手な昇り旗などなく、ひっそりとした静かな山寺の門前だ。羅漢寺は丘陵のはるか上にある。







禅海堂
我々は狭い山道を上り、青の洞門を掘り抜いた禅海和尚を祀る禅海堂で手を合わせ、少し坂道を上り、ここからスキーなどでおなじみのリフトで羅漢寺本堂に向かう。








リフト
若いころはスキー場でよくリフトを気軽に利用していたが、久しぶりに乗るリフトはなんとなく恐怖心が沸いた。年を取ったな~。






山門
かなり急なリフトをしばらく乗り、リフトを降り、狭い、足場の悪い山道を山裾沿いにゆくと目の前に山門が見えてくる。

山門脇にはこれから先は信仰に霊場であり、写真撮影禁止とある。いろいろ写真を撮りたかったがやめた。山門を過ぎると山を削った祠のようなところに凝灰岩であろうか、いろいろな表情をした仏が所せましとたくさん置いてある。仏の表情は皆異なり民芸調。



由来
説明によると、洞窟内に3,700体以上の石仏が安置され、五百羅漢としては日本最古のものらしい。窟内の釈迦三尊像、五百羅漢像などの石仏群は2014年8月21日に国の重要文化財に指定された。
羅漢寺は伝承では大化元年(645年)、法道仙人の創建といわれている。羅漢寺の由来などが記されていた。

羅漢寺本堂の庭から眼下に広がる色とりどりに紅葉した丘陵地帯を眺め、またリフトで下り、羅漢寺参道入り口にある食べ物屋で手配の昼食を取り、またバスに乗り深耶馬溪に向かう。

バスは山深い谷間を進みかなり広い駐車場に到着。観光バス、個人の車などでかなりの混雑。駐車場の周囲は紅葉のっ盛りを多少過ぎ、一部落葉し始めている。しかし、あたり一面素晴らしい紅葉。これだけでもここに訪れた価値がある。

耶馬溪1 耶馬溪3

耶馬溪2
バスを降りガイドさんの案内で山国川支流の渓谷沿いに山道を進む。本格的山道でかなり歩きにくい。谷川からの冷気と山裾からの湿気が深山の趣で寒い。しばらく進むみ橋を渡ると舗装道路にでる。多くの観光客がいた。ガイドさんから耶馬溪の説明がある。谷川に向かってそそり立つ岸壁、柱状節理だろうか。

岸壁の上部は浸食によりいろいろな形状をしている。ガイドさんはあの岩は海望嶺、仙人岩、嘯猿山、夫婦岩、群猿山、烏帽子岩、雄鹿長尾嶺、鷲の巣山などと説明する。確かに言われてみればそのように見える。


奥耶馬溪の紅葉を堪能し、帰りは谷川の上のほうに作られた舗装道路に沿って下りバスの待つ駐車場に戻る。道路沿いや駐車場にはたくさん土産物屋や食べ物やが所せましと並びにぎやか。ご当地特産の鳥の空揚げやが目立った。

帰り
今回参加したバスツアーはここで終了し、一路山国川に沿って中津、大分に向かう。途中、山国川に架かる「青の洞門」より500mほど下流にある耶馬渓橋は全長116m、日本最長の石造アーチ橋。アーチは12mスパンでやや偏平で、その西洋的な外観から「オランダ橋」との愛称で呼ばれているとのこと。この近辺には他にも石造アーチ橋が多くかけられている。耶馬渓橋の1.5km上流には橋長89mの三連アーチの羅漢寺橋が、また、さらに4km上流には橋長83mの馬渓橋がある。

今日は昨日と打って変わりとても良い天気で紅葉を十分堪能した。中津駅でツアーバスを降り、迎えに来てくれた宿のバスに乗り再度山国川に沿って走り宿に着く。

こがね山荘m2 こがね山荘m3

宿泊したこがね荘は本館、食事処、客室、露天風呂など広い敷地内に点在し、静かな山里の宿だ。宿泊した離れの部屋への通路は寒かったがなかなか風情があってよい。

こがね山荘m1離れは2部屋続きで囲炉裏の部屋がある。炭火は入っていなかったが暖房がよく効いていてごろり横になっていても気持ちがよく快適。
今夜は鱧づくし料理。数組の客が食事をしている食事処で静かな中津での一夜を楽しんだ。
明日は高千穂に向かう。









続く
▲ top
 HOME 

▶ プロフィール

月山2006

Author:月山2006
FC2ブログへようこそ!

▶ 最新の記事

  • 秋の伊勢志摩(3) (02/09)
  • 秋の伊勢志摩(2) (02/01)
  • 秋の伊勢志摩(1) (01/13)
  • 初夏の東北(6) (11/22)

▶ 最近のコメント

  • 汐まねき:秋の伊勢志摩(2) (02/03)
  • 須加公雄:初夏の東北(6) (11/29)
  • 和田:初夏の東北(6) (11/28)
  • 須加公雄:初夏の瀬戸内(5) (07/25)
  • 和田:初夏の瀬戸内(5) (07/22)
  • 和田:初夏の瀬戸内(3) (07/07)
  • 須加公雄:初夏の瀬戸内(3) (06/27)
  • 和田:初夏の瀬戸内(3) (06/10)
  • 須加 公雄:厳冬の美ヶ原王ヶ頭(4) (03/27)
  • 和田:厳冬の美ヶ原王ヶ頭(4) (03/26)

▶ リンク

  • 私の時間割
  • 管理画面

▶ 月別アーカイブ

  • 2019年02月 (2)
  • 2019年01月 (1)
  • 2018年11月 (2)
  • 2018年10月 (1)
  • 2018年09月 (1)
  • 2018年08月 (2)
  • 2018年07月 (1)
  • 2018年06月 (2)
  • 2018年05月 (3)
  • 2018年03月 (2)
  • 2018年02月 (2)
  • 2018年01月 (3)
  • 2017年12月 (1)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年10月 (1)
  • 2017年09月 (1)
  • 2017年08月 (2)
  • 2017年07月 (2)
  • 2017年06月 (1)
  • 2017年05月 (1)
  • 2017年04月 (1)
  • 2017年03月 (3)
  • 2017年01月 (3)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年11月 (1)
  • 2016年10月 (1)
  • 2016年09月 (1)
  • 2016年08月 (2)
  • 2016年07月 (2)
  • 2016年06月 (5)
  • 2016年05月 (1)
  • 2016年04月 (1)
  • 2016年03月 (2)
  • 2016年02月 (1)
  • 2016年01月 (1)
  • 2015年12月 (2)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (3)
  • 2015年09月 (1)
  • 2015年08月 (1)
  • 2015年07月 (3)
  • 2015年06月 (3)
  • 2015年05月 (2)
  • 2015年04月 (1)
  • 2015年03月 (3)
  • 2015年02月 (2)
  • 2015年01月 (4)
  • 2014年12月 (8)
  • 2014年11月 (1)
  • 2014年10月 (2)
  • 2014年09月 (1)
  • 2014年08月 (4)
  • 2014年07月 (5)
  • 2014年06月 (4)
  • 2014年05月 (4)
  • 2014年04月 (1)
  • 2014年03月 (2)
  • 2014年02月 (4)
  • 2014年01月 (2)
  • 2013年12月 (5)
  • 2013年11月 (2)
  • 2013年10月 (4)
  • 2013年09月 (3)
  • 2013年08月 (1)
  • 2013年07月 (4)
  • 2013年06月 (7)
  • 2013年05月 (1)
  • 2013年04月 (3)
  • 2013年03月 (5)
  • 2013年02月 (3)
  • 2013年01月 (5)
  • 2012年12月 (3)
  • 2012年11月 (1)
  • 2012年10月 (6)
  • 2012年09月 (3)
  • 2012年08月 (7)
  • 2012年07月 (3)
  • 2012年06月 (2)
  • 2012年05月 (6)
  • 2012年04月 (10)
  • 2012年03月 (4)
  • 2012年02月 (2)
  • 2012年01月 (4)
  • 2011年12月 (2)
  • 2011年11月 (3)
  • 2011年10月 (5)
  • 2011年09月 (1)
  • 2011年08月 (3)
  • 2011年07月 (11)
  • 2011年06月 (1)
  • 2011年05月 (5)
  • 2011年04月 (6)
  • 2011年03月 (7)
  • 2011年02月 (2)
  • 2011年01月 (5)
  • 2010年12月 (1)
  • 2010年11月 (3)
  • 2010年10月 (1)
  • 2010年09月 (1)
  • 2010年08月 (1)
  • 2010年07月 (2)
  • 2010年06月 (2)
  • 2010年04月 (7)
  • 2010年03月 (3)
  • 2010年02月 (5)
  • 2010年01月 (1)
  • 2009年12月 (1)
  • 2009年11月 (3)
  • 2009年10月 (3)
  • 2009年09月 (1)
  • 2009年08月 (2)
  • 2009年07月 (2)
  • 2009年06月 (1)
  • 2009年05月 (1)
  • 2009年03月 (1)
  • 2009年02月 (1)
  • 2008年12月 (1)
  • 2008年11月 (1)
  • 2008年02月 (1)
  • 2008年01月 (6)
  • 2007年11月 (5)
  • 2007年10月 (9)
  • 2007年09月 (2)
  • 2007年08月 (1)
  • 2007年05月 (1)
  • 2007年03月 (5)
  • 2007年02月 (6)
  • 2007年01月 (4)
  • 2006年12月 (6)
  • 2006年11月 (6)
  • 2006年10月 (3)
  • 2006年09月 (2)
  • 2006年08月 (2)
  • 2006年07月 (7)
  • 2006年06月 (2)
  • 2006年05月 (3)
  • 2006年04月 (2)
  • 2006年03月 (6)
  • 2006年02月 (3)
  • 2006年01月 (6)

▶ カテゴリー

  • はじめに (4)
  • 海外 (3)
  • ★ スペイン (1)
  • ★ドイツ・他 (1)
  • ★イタリア (2)
  • ★フランス (2)
  • ★スイス (3)
  • ★イギリス (4)
  • ★ノルウエー (1)
  • ★スウェーデン (1)
  • ★デンマーク (3)
  • ★チェコ・プラハ (2)
  • ★オーストリア (11)
  • ★カナダ (12)
  • ★ アメリカ (4)
  • ハワイ (1)
  • ★ タイ (5)
  • 台湾 (19)
  • クルージング (1)
  • 国内 (0)
  • ★北海道 (9)
  • ★ 利尻・礼文 (1)
  • ★信州・加賀 (2)
  • 木曽路 (14)
  • 北陸・長野 (10)
  • 伊豆 (1)
  • 箱根路 (1)
  • ★佐倉の四季 (11)
  • 佐原・銚子 (1)
  • 四国 (10)
  • 九州 (35)
  • ドライブ (11)
  • 旅の計画 (10)
  • 旅 (6)
  • 未分類 (0)
  • 母の旅路 (2)
  • 孫 (18)
  • 動画 (6)
  • 天候 (12)
  • 健康 (37)
  • マナー (3)
  • 日課 (9)
  • 欲望 (1)
  • 庭仕事 (12)
  • 季節 (13)
  • 自然 (13)
  • 政治判断 (4)
  • 人間社会 (7)
  • 人生 (1)
  • D.I.M. (1)
  • 散策 (2)
  • 歴史散策会 (1)
  • 園芸 (4)
  • 同期会 (1)
  • シャクヤク (2)
  • 上高地 (5)
  • 新穂高・飛騨古川 (0)
  • 新穂高ロープエー (1)
  • 飛騨古川 (2)
  • 五箇山 (1)
  • 諏訪 (1)
  • 沖縄 (6)
  • 裏磐梯高原 (4)
  • 秋の信州 (0)
  • お休み (1)
  • 美ヶ原王ヶ頭 (4)
  • 小布施・戸隠・八ヶ岳 (5)
  • 白馬・信濃路・軽井沢 (6)
  • 瀬戸内海 (5)
  • 東北 (6)
  • 伊勢志摩 (3)

▶ カレンダー

12 | 2015/01 | 02
日 月 火 水 木 金 土
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

▶ 天気予報


-天気予報コム- -FC2-

▶ No.of Visitors

Copyright © 旅’s Blog All Rights Reserved.
Template by:baorin