旅’s Blog
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初夏の四国路(9)
5月14日(水)曇天
9時にガイドさんと待ち合わせなので、早めにホテルで朝食を済ませる。ビュッフェスタイルの食堂。団体客が多く、我先にと皿にいろいろの料理を山盛りにして行く。テーブルの上は荷物やハンカチなど置き場所の確保。マナーが悪い。
ホテルに荷物を預ける。ホテルを出ると正面に高知城の天守閣が見える。城の追手門まで徒歩で10分程度。
うっそうとした木々の緑に覆われ、堀に囲まれた向うに追手門が見えてきた。ガイドさんと待ち合わせている場所だ。
ガイドさんにご挨拶。早速ガイドが始まる。我々二人だけの貸切。
土佐を治めていた長宗我部が関ヶ原で西軍に加わり敗戦。戦勝した東軍、徳川方代わった山内一豊が土佐24万石で入国、大高坂山に河内山城を築いた。その後、「高智」と名を改め、現在の「高知」となったという。
追手門
1727年の大火で追手門が焼け残った。
2つの石垣の上を渡櫓を載せた巨大な櫓門。門の前には立派な松の木と、向こう側にそびえ立つ天守が見える。350年前の慶長年間創建、1664年に再建された。また城内の他の石垣と異なり大きめの石が積まれている。
追手門の前に建つ「國寶 高知城」の石碑。高知城は国宝ではなく重要文化財。現在の文化財保護法では高知城は重要文化財に位置づけされる。旧法(国宝保存法)では国宝扱いだったため、その際に建てられた石碑(昭和9年建立)には国宝と書かれている。
追手門 の扉は銅板でがっちり補強されている。扉に付けられた乳型金物、八双(∑型の補強金具)、ハート型の金具が珍しい。ガイドさんの説明ではハート型の金具は他の城でも使われているとか。気付かなかった。また、堂々たる追手門を支える芯柱に板を張り付け金具で止めてあるこのと。叩いてみると軽いコンコンと音がする。他の城では見ない構造だという。確かに。どこも堅いケヤキなどで補強の板は張り付けていない。
山内一豊(やまうち かつとよ)像
一旦城の外に出る。
具足姿で騎乗し長槍を持つ一豊像
関ヶ原の戦いに臨む勇姿の山内一豊の銅像。信長、秀吉、家康の3時代を生き抜き出世した唯一の武将。大正2年に造られた銅像は戦争で供出。平成8年に再建。ガイドさんの説明によると一豊の頭部は下から見上げることを念頭に大きくし、堂々と見せるようなデザインにしてあるとのこと。なるほど!
板垣退助像
追手門をくぐり右手ある。自由民権運動で活躍した土佐藩士。ガイドさんの話によると、日本人で初めてルイ・ヴィトンの旅行かばんを持ったうちの1人で洋行先で購入。また、有名なセリフ「板垣死すとも自由は死なず」と言った襲撃事件。実際は軽い傷でその後40年ぐらい生きたとのこと!?
追手門から杉の段
いよいよ高知城の登城道に行く。この石段を上りつめると杉の段に着く。石段は一段一段の幅が広く歩きづらい。戦略的上りにくく、下りやすいようになっているとの事。この石段は幅が広く各石段の高さが低い。これは城主が駕籠
で二の丸、三の丸への登城する際、駕籠担ぎ手が歩きやすいように、また石段の幅が広いのは駕籠の両脇を家来が付き添うためではないかと質問したが、ガイドさんはそうではないだろうと聞き流された。
石樋
長い石段をあがっていく。途中の石垣に「石樋」がある。石垣から飛び出た石板。雨の多い高知では排水が石垣に滲みて崩れる原因とならないように数十か所に石樋が設けられている。最も下にあるこの石樋が一番大きいという。
一豊の妻
石段を上がると「杉の段」と呼ばれる曲輪に出ると山内一豊の妻の像。仲間由紀恵主演で大河ドラマにもなった司馬遼太郎「功名が辻」で馴染みの見性院 (けんしょういん) 像。小谷城主 浅井長政の家臣 若宮友興の娘とある。嫁入り時の持参金で名馬を一豊に買い与え、それが元で信長の目に留まり出世するという逸話をベースにした銅像だ。山内一豊像が城外で、妻が城内にある?
ガイドさんも言っていたが、一豊の妻は少し太り気味では。
杉の段
杉の段から天守を見る。まだ低く、高い樹木でよく見えない。右に見える高い石垣は三の丸
詰門
鉄門跡の石段を上ると右に二の丸、三の丸、左手に本丸と天守閣が見え、正面に黒塗りの詰門がある。敵は自動的に正面の詰門に導かれる。ここで三方から矢と鉄砲の攻撃を受け、敵の侵入を難しくする。
三の丸
かつて三の丸御殿があり年中行事や儀式を行っていた。三の丸石垣改修工事に伴う発掘調査時に出土。長宗我部元親による築城時の石垣。石垣は小ぶりの石で築かれている。
ビュースポット
高知城 一番のビュースポット。二の丸手前の石段から見た天守閣。
二の丸から本丸を見る
軍事拠点としての遺構が高知城には多く残っている。城内の至るところにカギ状に曲がる石垣「横矢掛り」がある。死角をなくしどこからでも敵に矢で攻撃できる仕掛け。ガイドさんが指摘。石垣の上に乗る多聞櫓が、少しハミ出ているのが分かる。石垣の担当者と多聞櫓の担当者の連携ミス!? と思われる珍しい状態。築城当時からズレたまま。でも何かほかに理由があったのかも。
いよいよ本丸
二の丸から本丸へは直接行けず、橋廊下を渡る。橋廊下の出口は埋門風になっていて、頑丈な扉で守られている。戦時にここを埋めて壊してしまえば天守に行くには搦手にあたる黒鉄門ルートか、直接石垣を登るほか無くなる。
本丸には天守閣、本丸御殿、納戸蔵、廊下門、東、西両多聞、黒鉄門などの建物がよく保存されている。本丸御殿が残っている城は高知城のみであろう。
御殿の書院正殿には一段高くした上段の間があり、西側には武者隠しがあった。欄間は土佐の荒波を表現したデザイン。ガイドさんの説明ではこのデザインを模した商号の和菓子屋さんはりまや橋にあるとのこと。
本丸御殿上段の間・物見窓
御殿まわりの土塀に作られていた「物見窓」。
鉄砲狭間から覗いているだけでは敵全体の動向が把握しづらいため、横幅一間の武者窓を用いて本丸東南の物見を引き受けていたとのこと。城郭では珍しく、現存するのは高知城のみとのこと。そしてこの土塀の基礎は簡単に倒せるとのこと。いざという時にこの土塀を倒し敵を攻撃するとのこと。ここまで来るとかなり苦しい戦いになる。
シャチ鉾
天守閣4階の小窓からは、下層の大入母屋破風の上に鎮座する東西2体の鯱を直接見える。阿吽(あうん)に分かれ、口を開けている方が阿(オス、写真右側)、閉じている方が吽(メス、写真左側)。青銅製。
石樋
本丸の石垣にたくさんの石樋
防御
最後の砦、天守には石落し、忍び返しの鉄剣が備えられ、天守への攻撃は難しい。
NHK大河ドラマ、功名が辻で活躍する山内一豊とその妻もあり親しみのある城主の高知城。ガイドさんの説明は興味ある内容がたくさんあり楽しい散策であった。ガイドと散策途中で観光客が何人か加わった。彼らはこのようなガイドシステムを知らなかったらしい。
ガイドさんにお礼を述べ、これから高知第二の目的地、桂浜に向かう。
続く
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初夏の四国路(8)
5月13日 祖谷渓、大歩危を訪ね阿波池田から特急南風15号で17時42分に高知駅に到着。駅前のバスターミナルで明日、高知から松山に行く高速バスの代金を支払い、松山行きバス乗り場を確認した。
松山駅から今宵の宿、三翠園まで市電で行けるのだが、疲れもありタクシーを利用する。ホテル前は立派な門構え。ここは第15代土佐藩主山内容堂公の下屋敷跡で 国重要文化財「旧山内家下屋敷跡長屋」がある。
奥のピンク色の建物がホテル本館。手前が旧下屋敷の門構え
旧屋敷内の庭園を散策
今日はホテルで食事をせず、市内のカツオのたたき専門店で本場土佐のカツオのたたきを賞味するため、口コミで人気のカツオたたき専門のFのやに行く。電停からすぐのところにあり分かり易い。店の入るとかなりの客で混んでいた。事前に予約しておいたカウンター席はすでにたの客が座っていた。おかみに「予約しておいたのだが...」と言ったら「先客...」だからと訳の分からぬ言い訳をする。どうも常連客のようだ。
嫌な思いをしたくないので座敷席に変わった。おかみは「すみません」の一言もない。予約など取らなければよいのに。
「カツオは不漁らしいが」
「おいしいカツオが入っていますよ」
「それでは塩とたれのたたきをお願いします」
カウンター奥の調理場ではカツオをさばき、藁でカツオをあぶっている。これも客を喜ばせるデモンストレーション。おいしそう!
カミさんも小生も期待で胸が膨らむ。皿に盛られたカツオが2皿きた。あれ!カツオの色があせてくたびれた感じ。食べてみる。口コミにあるようにほっぺたが落ちるような絶品の味、舌触りではない。ねっとりしてやけに生臭い。鮮度が悪い。
スーパーでカミさんが買ってくる冷凍のトロカツオのほうが格段にうまい。
カミさんは何も言わない。わざわざ来たのに!カツオのたたきで4千円も!やれやれ。不漁の時期に来たのが悪かった。
ま~来ることもないから諦める。
旅は道連れ世は情け
高松から琴電で琴平に行く電車で向かいの席に座っていた旅姿の初老のカップルが偶然にも祖谷渓・大歩危ツアーで一緒になり、また、高知カツオのたたき専門店、Fのやでまたまた一緒になった。奇遇である。お二人もやはり本場のカツオのたたきを食べようとこの店に来た。お二人にカツオのたたきの感想を聞くと「がっかり」だった。
実は、インターネットで検索し、3候補を選択したが、No.1候補、No.2候補はいずれも5月の連休後の従業員慰安のため、たまたまこの日は「お休み」だった。FのやはN0.3候補だった。
初めての旅先で本当に「うまいもの」を探すのは難しい。
宿に戻り、温泉につかって疲れを取る。明日はガイドさんの案内で宿から近い高知城を見学する。楽しみ!
続く
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初夏の四国路(7)
初夏の四国路の旅は5月13日で3日目
朝一番で温泉につかり眠気をとって朝食後、ホテルの車でJR琴平駅まで送ってもらう。琴平は琴平電鉄とJRの駅がある。
9時21分の列車で阿波池田に行く。ここで四国交通が企画してる祖谷渓・大歩危峡クルージングのツアーに参加する。
琴平駅から阿波池田まで土讃線で行く。土讃線は多度津から高知を経て四万十川の窪川まで四国を南北に縦断する列車。琴平を出てしばらくすると四国山岳地帯に入り、途中坪尻駅でスイッチバックをしながら高度を上げてゆく。
定刻10時6分、阿波池田に到着。阿波池田は比較的規模の大きな町ではあるが、駅前は閑散としている。抜けるような青空でまぶしいがさわやかで気持ちがよい。10時45分出発のツアーを待つ客が駅の待合室のベンチに数組座っている。どなたも後期高齢者に近い年齢層だ。
しばらくするとものすごく太った制服姿の若い女性が、ツアー参加費の徴収を始めた。駅舎内にいた人たちが皆料金を払っていた。今日はこの人たちと一緒なんだ。あちら様もそのように思っているのだろう。
ツアーは昔のボンネットバスで祖谷渓、大歩危などを観光し、16時20分にまたここ阿波池田に戻るコース。駅前に到着したボンネットバスに乗る。座席は指定で我々は最前列席に陣取った。このバス古いだけあってクーラーなどの空調設備はない。フロントの三角窓から入るさわやかな空気のみ。でもこの時期雨で窓が開けられない場合はどうするのだろう。車内は相当蒸すのではないだろうか。幸い今日は快晴。窓から入る風を受け車窓を楽しむ。古いバスだけあって、レトロで懐かしいが座席幅は狭く、決して快適な乗り心地ではない。
ツアーは祖谷渓でかずら橋を渡り、平家ゆかりの古民家を訪れ、大歩危峡で船遊び楽しみ出発地の阿波池田に戻る5時間35分のゆったり旅。天気は快晴!
バスはすぐに山間部、祖谷街道に入り、次第に曲がりくねった山道に入る。青い空、新緑の山々を眺めながら進む。バスの右側は深い渓谷になる。
祖谷渓谷
剣山を水源とする祖谷川はV字型の美しい渓谷。四国山地を横断する数10メートルから数100メートルの断崖絶壁が続く。
小便小僧
祖谷街道、七曲に着く。谷底まで200mの高さがある。深い谷に突き出た岩場に子供が小便をしている像がある。よくもま~こんなところに作ったものだと感心する。祖谷への旅人が、岩の上に立ち度胸ためしをしたと言う由来から小便小僧の名称がつけられたというが、旅人と小便小僧が結びつかない。
ボンネットバス
小便小僧像を見学し、バスは喘ぎながら進む。しばらくすると開けたところに民家が立ち並ぶ。いよいよ祖谷渓に入った。想像していたひなびた山村ではない。観光地でよく見る山村の風景。平家落人の里のイメージではない。
昼になったので、料理屋兼宿屋で昼食、山菜の天ぷら、そば、ヤマメ?イワナ?の塩焼きなどが出た。おいしかった。
かずら橋
祖谷川渓谷は深い。その為、祖谷川両岸の往来は大変で住民が工夫努力の末作りだしたのが、この「しらくち蔓」で作った蔓橋。 伝説では、弘法大師が当地巡行の際、平家が讃岐屋島の戦いに敗れて、この土地に逃げ込んだ時、源氏の追い手を防ぐため絶ち切り易いこの橋を、平国盛が考案したとも言われている。その後、1千メートル以上の高山に自在する直径8センチもある「しらくち蔓」を5トン採取して架替作業を行っていたが、大正12年通学生のために板の吊橋が出来てからは、3年に1度の架替となった。昭和30年2月3日、重要民俗資料に指定され、これを保存することになったのは、しらくち蔓を敷網に5本壁網に左右2本ずつ、それに両端の大木より、丸太や割木のサナギと称する橋桁を細蔓で「もつい壁」と称する欄干に編み上げる、古法を今に存しているところからであって千年の昔、火で、焙って自由に編むことのできるこの蔓を材料に選び自然を自由に駆使した先人の知恵を長く保存することにした。昭和30年2月重要民俗文化財指定を記念に架替えた。蔓橋は長さ 45メートル 幅 2メートル 高さ 14メートル(中央水面間での高さ) 今では重要な観光資源になっている。
かずら橋を渡る。観光客は恐る恐るわたる人、どんどんわたる人、途中で引き返す人で様々。わたってみると以外に渡りやすい。多くの観光客が安全に渡れるように橋を堅固にしているのかかずらは鉄線にまかれていた。この橋は一方通行で有料。帰りは並行して作られたコンクリートの橋を渡って戻ることになる。
コンクリートの橋から見たかずら橋
平家屋敷として平家一族と祖谷渓に入った西岡家の屋敷を見学し、山道を下って大歩危に行く。
大歩危:小歩危
吉野川が四国山脈を横切る結晶片岩が水蝕されてできた渓谷。大股で歩いても小股で歩いても危険といわれることからこの名前がついたいわれるいる。
大歩危舟下り(観光遊船)
大歩危峡の渓谷を遊覧しながら往復30分の舟遊び。船乗り場まで急な坂道を谷そこまで下る。帰りが大変。休み休みしながらゆっくり上る。年寄には相当きつい!
船頭さんの説明がある。でもちょっとアクセントが?日本人かな?
まだ日が高い4時過ぎに阿波池田に戻る。ここから16時30分発 土讃線、特急南風15号で高知に向かう。
土讃線は渓谷沿いに走るので車窓から渓谷美を楽しむ。
17時42分高知駅到着。ここで予約しておいた翌日高知から松山行きの高速バス代金を払うためにバス案内所に行き、予約確認と支払を済ませ、タクシーで今宵の宿三翠園に行く。当初は城西館に宿泊を予定していたが、予約の対応が横柄で気分が悪かったので三翠園にした。
今夜はホテルで夕食をせず、高知市内のカツオ料理専門店でカツオを堪能するはずだった。
続く
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孫の成長日記(14)
孫が生まれた時からデジカメで撮り続けた写真をアルバム形式に編集し、製本した成長日記シリーズは14冊目になった。孫は5歳になり、来年は小学校である。幼児の時は喘息で年に3回も入院する羽目になり、その後の成長に影響が無いか心配していた。幸いその後大した病気もせず元気で順調に、素直に育ってくれている。
今のところ孫はアルバムにあまり興味を示さないが、二度と撮れない記録である。将来、大人になった時にアルバムを未来のお嫁さんと開いてもらえればそれで満足。
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初夏の四国路(6)
初夏の四国路の旅第2日目。金毘羅宮の参詣に挑戦する。挑戦するとは大げさかもしれないが、最近少し歩いたり、立っていると右脚がしびれと痛みに悩まされている。整形外科でMIR検査で脊柱内の神経を検査したが、異常なし。でも痛みは起きる。医師から痛み止め薬リリカを処方され服用しての金毘羅宮への挑戦。
昔、若いころに金毘羅宮を訪れ、785段を一気に上り本宮まで行ったことがある。夏の暑いころで汗びっしょり、息絶え絶えの苦行だった。
今回は持病もちの老体では一気上りは無理。ゆっくり、休みながら上ることにした。金毘羅宮参道には数多くの見どころ、史跡があるので急ぐ旅ではないあちこち寄りながらの参詣になった。
金丸座を見学し裏手の道を進むと参道に出る。参道の道しるべにはここは294段で本宮まであと491段とある。参道のお土産屋街を抜けたところ。ここから本格的な急こう配の石段が続く。宿で借りた杖を突きながら、ゆっくり上る。気のせいか石段の幅が狭くなったかな。
351段 青銅大灯篭
重要有形民俗文化財。金比羅宮に奉納された青銅の灯篭に中で最も豪華。同型の灯篭が山形県山寺、宮城県 金華山黄金山神社に一対奉納されているとのこと。
鼓楼
朝夕時刻を知らせる時太鼓を備えた高閣で1710年(宝永7年)に建てられた。長い急な石段も休息を兼ねてあちこち見学しながら行く。息切れしないように足元に気を付けながら。
431段 桜馬場
水戸光圀の兄である松平頼重から寄贈された二層入母屋造瓦葺の大門に到着。365段目。大門をくぐると大きな赤い傘をさした5軒の露天の飴売り屋の前を過ぎ、431段の桜馬場に入る。長いまっすぐな石畳の山道で無数の石灯篭が立ち並ぶ。春であれば桜のトンネルになるであろう、ほっとする場所。
小林一茶の句碑
桜馬場の途中宝物館に入る脇道にある。寛政6年(1794年)当時32歳の一茶が金毘羅詣での際に読んだ。
春うらら、磴道につづく人波の 北の南の国訛りかも
こんぴら狗の銅像
桜馬場西詰鳥居の横にある。イラストレーター、湯村輝彦さんのデザインだそうだ。
こんな由来がある(引用:金刀比羅宮参拝ガイドブック)
「江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限りではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。
当時、江戸を中心とした東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を託し代参してもらうこともあったようです。 金毘羅大権現への代参で有名なのが森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝えられています。
実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。 袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。 犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたのです。
金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務めを果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と呼ばれたのです」
477段 社務所
門をくぐると正面に堂々とした書院がある。丸山応挙の襖絵などが公開されている。見学を考えたが、今にも降り出しそうな雲行きなので、先を急ぐことにした。
628段 旭社
嘉永7年(1854年)建造、明治34年(1901年)改築。旭社の装飾
上層の屋根裏には巻雲が、そして柱間・扉には人物・鳥獣・草花が彫刻されている。どれも稀に見る華麗な装飾で、旭社は、天保時代の芸術の精華を集めた建物とある。が、装飾そのものが色あせ、当時の面影を残したまま。修復はしないのであろうか。
652段 御前四段坂
真須賀神社から左折すると、うっそうとした木々の覆われた急な石段が現れた。そろそろ足腰が痛くなってきた。ここを上りきれば御本宮。最後の力を出して、ゆっくり足元に気を付けながら上る。
785段 御本宮
当初は途中で断念して引き返すことも考えていたが、やっと本宮までたどり着けた。ただひたすらの一気に本宮目指して登ったら途中でバテてギブアップであったであろう。参道の途中の名所を見学しながらであったので、精神的にも、体力的にも疲れを感じなかった。足の痛みも大人しくしてくれている。
旭社を過ぎたあたりから降り始めた雨は本宮に着いた時にはかなり雨脚が強くなった。本降りに近い。
本宮社殿で今回も無事に参拝できたことを感謝した。本宮前の見晴台から雨に煙る讃岐平野を眺め、絵馬殿などを散策し、下向道から帰途に着く。
113段 備前焼狛犬
雨に濡れて滑りやすい石段を注意しながら下る。宿で借りた杖は下りも活躍している。下りは早い。いつの間にかお土産屋が並ぶ参道まで下りてきてしまった。
113段目に備前焼狛犬が目に入る。一之坂鳥居の傍らにある重要有形民俗文化財。
113段 一之坂鳥居
ここ113段の一之坂鳥居から365段の大門まで急な石段が続く。体力的に自身のない参拝者は駕籠のお世話になる。お昼過ぎに琴平商店街にたどり着く。お腹が空いた。宿で教えてもらったうどん屋さんに行く。この辺りの観光地でも立ち並ぶ商店街も歯が抜けたようにでもあちこちに空地が目につく。
こぎれいなうどん屋で天ぷらうどんを食べた。気のせいか丸亀よりおいしい。一休みして徒歩で商店街を雨の中を歩いて宿に戻る。
屋根のある鞘橋(さやばし)
宿への道は金倉川(かなくらがわ)に沿って歩く。山手にある宿ののすぐ下に鞘橋がある。刀の鞘のような外観なので「鞘橋」と呼ばれている。橋には屋根があり、橋脚のない浮橋。屋根は銅葺唐破風、両岸よリ組み出しの遣のため「浮橋」とも呼ぱれている。
毎年10月10日の金刀比羅宮御大祭の際に神輿が渡ることができるだけで、一般の旅行客は渡ることが出来ない。
急な坂道を上り今宵の宿、琴平花壇にたどり着いた。雨で傘をさしていたこともあり、借りた杖はうどん屋に忘れてきてしまった。宿のフロントにお詫びした。
続く
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